ささみの燻製、侮るなかれ。

ファッションを中心に、思ったこと

服を着ることのメリット

人間は服を着なければならないとされています。

 

試しに全裸で外に出てみていただければわかると思いますが、社会は服を着ていない人間に厳しい。しかも、ただ服を着ればいいわけではなく、空気を読んだ服を着ていないと法が許しても社会は依然として厳しく当たってきます。パンツ一丁に「違法ではない」と書かれたプレートを掲げて歩いていれば、周囲からの軽蔑と好奇の目にさらされることになるでしょう。

例が飛躍していますが、社会人が一般にスーツを着用するなど、社会の一員としての表明は、言葉よりも外見が多くを語ります。TPOをわきまえる必要性がどこまであるかは考えものですが(髪を黒染めさせる学校が問題となっています)、多様であることと構成員の一員であることを、特別な理由がない場合はうまく折り合いをつけていくのが生きていく上で大切になってきます。

 

こういった社会=人間集団、における規範のネガティブな面がよく取り上げられますが、服を着ることには意味があり、スーツは社会の中にいる表明をしてくれ、ARMYと書かれたTシャツは任意の軍隊に所属している表明になります。

集団に所属している、という表明は社会という枠組みでは最低限求められるところですが、逆手にとって好きな文化に手を伸ばしたいときにも大変有効なのです。

好きなバンドのボーカルのファッションを真似たい気持ちなどを想像していただければ幸いです。椎名林檎が金髪にしてるから金髪にしたいという欲は万国共通でしょう。野田洋次郎みたいななんか黒い長い服を着ていたら、「おっ、RADファン?」と声をかけてみたくなります。かけませんが。

 

前回の記事でファッションは文化を身につける楽しさがある、と書きましたが、それはTPOを踏まえることで文化の中に溶け込むことができる心地よさがあるからです。

 

sasamikunsei.hatenablog.com

そうすることで好きな文化の一部になれるのがファッションです。人は聞かれてなくても自分のことを話したがりますが、何も言わずとも、しかも

うわっこいつめっちゃ語るやんめんどくさっ

とも思われずに視覚的に「おれはこれが好きなんや」とアピールできるのは服ならではの強みです。スイーツ系(笑)みたいな言葉が廃れていって久しいですが、甘々な趣味であることをわざわざ人とコミュニケーションをとらずに一方的にわからせる力が服にはあります。

一方的にわからせるツールとして、SNSも大きな力を持っています。SNS、特にインスタなどが特に視覚的文化アピールに一役買い、服のアピール力は相対的に下がりましたが、無くなったわけではありません。現実に顔を合わすコミュニケーションはなくなりませんし、カフェでパンケーキを食っているのに服が高校の指定ジャージでは示しがつきません。

トータルコーディネートという言葉がありましたが、その要素にバーチャル(SNS)が入って、しかもデカイ部分を占めているのが今の時代で、それでもやはり他の部分もしっかりコーディネートすることでようやく自分アピに説得力が出てくるのではないでしょうか。一貫性のない行動をとると、人間は簡単にディスってきます。怖いですね。

人間が怖い話に脱線しましたが、服のメリットはやはり、文化に溶け込む手段として大きな力があることです。人は人の見た目に大変口うるさいというのはみなさん経験済みだと思いますが、それを逆手にとって自分語りをし、仲間を見つける、そう言った服によるコミュニケーションの楽しさがもっと広まると楽しいなと思います。

 

snsについてや、服の具体的な楽しみ方については今後また触れていきたいと思っているので、よろしくお願いします。読んでくださってありがとうございました。